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プリハード「世界の名画」作者名リスト
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作者名/作品名
作者名/作品名
アングル
Dominique Ingres(1780〜1867)
パリでダヴィッドに師 事した新古典主義の代表的な画家です。
長らくローマに留まり、 特にルネサンスを代表する画家ラファエッロの影響を強く受け ました。


エルグレコ
El Greco(1541〜1614)
エル・グレコはギリシア人を意味します。ヴェネツィア派に学び、ローマを経てスペインのトレドに渡りました。長く引き延ばされた人物像は極度に様式化され、それが燃えるような神秘的空間に配されています。
受胎告知

キスリング
Moise Kisling(1891〜1953)
ポーランド出身の画家。1910年パリに出て、モンマルトルのバトー=ラヴォワール(洗濯船)に住み、エコール・ド・パリの画家として活躍。輝くような色彩で、静物、風景、肖像画を描いた。
リタ・ヴァン・リアの肖像

クリムト
Gustav Klimt(1862〜1918)
オーストリアの画家で、世紀末美術といわれた時代の先駆者です。すばらしい色使いと大胆な構成で女性とエロチシズムを描き出した子どものように無邪気に眠る美女、それに相反する官能。作品のなかの女性たちは外面的な美しさと内面に秘められた危険な魅力に満ち、世界中の人々を今なお、惹きつけてやみません。
水辺の城

クルーペ
Gustave Courbet(1819〜1877)
フランスを代表する写実主義の巨匠、ギュスターヴ・クールベは、人物、鹿、自然などの題材を心の目で捉え表現しました。また、社会主義思想に共感を抱いて労働者や農民を描くことから出発し、 1855年の万博の時に私費で個展を開き、『画家のアトリエ』を展示して戦闘的に写実主義を問うたのです。
流れに憩う鹿

ゴーギャン
Paul Gauguin(1848〜1903)
後期印象主義を代表する芸術家の一人。証券会社勤めのサラリーマン生活をやめ、妻子を捨てて、画家の道へ志します。印象主義の感覚主義的な現実描写に対して明確な反対を掲げ、1888年にいわゆる総合主義の様式を確立します。またその年、経済的負担を軽くし,仕事の上で啓発し合い,より芸術的成果を上げようというゴッホの呼びかけに応じ,南フランスのアルルで共同生活をはじめますが、ゴッホの心の病により、共同生活は破綻します。その後はタヒチに制作の場所を移し、病気と貧困に苦しみながらも多くの作品を生み出します。
タヒチの女

ゴッホ
Vincent van Gogh(1853〜1890)
世界中で現在も高い人気を誇る作家ゴッホは1853年3月30日、オランダに牧師の子として生れました。若いころから画商、語学教師、書店員、牧師、伝道師とさまざまな職業につきますがいずれも長続きせず、やがて画家を志すようになります。その後最大の理解者の弟テオの援助でパリで生活をするようになり、ロートレック、ゴーギャンらと親交を深め、印象派と浮世絵の影響を受けるようになります。しかしゴーギャンとの不和などが原因で精神の病にかかり以後入退院を繰り返し、1890年7月27日、パリ郊外オーヴェル・シュル・オワーズでピストル自殺を計り、2日後に死亡。享年37歳の若さでした。製作実働期間は10年で約2,000点を制作。うち油絵は900点。生前に売れた作品が1点のみでした。その情熱的なタッチは観る者に強烈な印象を与えます。
アルルのはね橋  ひまわり

ゴヤ
Francsico de Goya y Lucientes(1746〜1828)
社会的地位に野心のあったゴヤは宮廷画家となるが、病気で聴力を失ってから、理性を越えた人間の本能的、感情的な力を強調し、ストレートに表現した。べラスケスとレンブラントと自然を師としたゴヤは亡命先のボルドーで生涯を終えました。
裸のマハ

コロー
Jean Baptiste Camille Corot(1796〜1875)
風景を外光の中で捉える点で印象派の先駆的役割をはたし、
バルビゾン派にも影響を与えます。ヴィル・ダヴレーを本拠地としてました。
モルトフォンテーヌの追憶

ジェリコ
Theodore Gericault(1791〜1824)
ミケランジェロの彫刻や壁画に傾倒し、躍動する人馬を数多く描きました。当時政治問題になった軍艦メデュース号の遭難をテーマに描いたこの作品で、当時の主流派であるダヴィッドらの「古典主義」に挑戦。大きな反響を呼びます。
メデュース号の筏

ジーム
Felix Ziem(1821〜1911)
ヨーロッパ各地はもちろん、アフリカ、インドまで旅をして、異国的な風景と旅の足であった帆船を、華麗な色彩と情調で描きました。ヴェネチア風景数百点も高い人気を博しました。
船出

シスレー
Alfred Sisley(1839〜1899)
印象派の巨匠アルフレッド・シスレーは、1839年パリに生まれました。終生フランスの風景を描き続けた最も印象派らしい画家ですが、その豊かな感受性と詩情を持ちあわせていたにもかかわらず、生前に成功を知ることはできませんでした。"空のシスレー"と言われたように、明るくのびのびと広がる透き通った空や雲、運河や川の澄んだ水、などが美しい作品を残しています。
セーブルへの道の眺め

スーラ
Georges Seurat(1859〜1891)
色彩光線主義者と自称したス-ラは、絵画の中に光りと色彩の科学的体系を導入し、論理的画法による感情表現と調和を目指して、点描主義(分割主義)と呼ばれる技法を追求していきました。丹念な点描技法のため作品の数は少ないが珠玉の名作を残しています。彼は、私生活に関しては親しい友人にも語ることなく31歳で亡くなりました。愛人や子供がいたことが知られたのは、彼の死後だったのです。
サーカス

セガンティーニ
Giovanni Segantini(1858〜1899)
イタリアで生まれたセガンティーニは、アルプスの自然と人々に魅せられ、マローヤ村にアトリエと居を構え、多くの絵画を描きました。冬の間はブレガリア谷奥にあるソーリオ村に滞在し、まるで理想郷のようだと愛し、数々の絵を残しています。
アルプスの昼間

セザンヌ
Paul Cezanne(1839〜1906)
後に「キュビスム」を確立するピカソが「私の唯一の師」と讃えるなど、多くの画家に多大な影響を与えたセザンヌですが、生前は一部の者にしか認めらない不遇の時代が続きました。彼は静物画に力を注ぎ、西洋近代美術史において新しい静物画を切り拓いた画家として評価されています。画壇での地位が確立したのは死の直前の数年のことでした。
カルタ遊びをする人々

ダ・ビンチ
Leonardo da Vinci(1452〜1519)
フィレンツェ近くのヴィンチ村に生まれたので、ダ・ヴィンチと呼ばれるようになりました。私生児として生まれ、幼くして母と引き離されて寂しい環境の中で育ったレオナルドは、唯一の楽しみとして自然を観察して絵を描き始めたそうです。彼の描く絵があまりに突出していたため、父親はフィレンツェを代表する彫刻家・画家だった友人ヴェロッキオの工房に弟子入りさせました。しかし、レオナルドはすぐに師を越えてしまい、それを悟った師は絵画から手を引いてしまったというエピソードが残っています。絵画の他にもレオナルドは彫刻家・建築家・音楽家として超一流の腕をもち、築城・土木・造兵術・解剖学・生物学に通じた科学者としても多くの実績を残しました。そして飛行機や戦車の模型を作る豊かな想像力を兼備した思想家であり、哲学者でもありました。さらに体力や運動神経も人並みはずれ、人間の背丈を助走なしで飛び越えたという彼は大変な美貌の主でもあり、ヴァザーリはその著書の中で、まさしくダ・ヴィンチはルネサンスの理想とする万能の人(ウォーモ・ウニヴェルサーレ) として時代に熱狂されたと書かれています。ダ・ヴィンチは考えつくされた構図と穏やかな知性であらゆる方法で表現しました。そのため完成した絵画で現存するものは少ないのですが、深い知識の中で生まれた斬新な手法や人間の体を解剖学的に知り尽くした完璧な構図による作品でほかのすべての芸術を圧倒しています 。
モナリザ

デュフィ
Raoul Dufy(1877〜1953)
生誕地ル・アーヴルを始め海と港に魅せられた画家です。独特の明るい色彩と軽快な線で「海」以外にも「アトリエ」、「音楽」というテーマで描き、鮮やかで大胆な色彩などが特徴です。日本を始め世界各国で人気のある作家です。
30歳またはばら色の人生

ドガ
Edger Degas(1834〜1917)
「踊り子の画家」とも称されるドガ。その強烈なエネルギーに満ちた革新的な色彩の世界。かつて数多くの芸術家が集うパリの「ニュー・アテネ」と呼ばれる一角に育ったエドガー・ドガ。ドガは同世代の画家達の中でも、デッサン力にひときわ優れており、一瞬の動きを捉えた、躍動感あふれる作品が多くあります。
舞台の踊り子

ドラクロア
Eugene Delacroix(1798〜1863)
その瞬間を生きた人々の息づかい。そして時代の鼓動。
人間の生を、時代の生を自由の女神に導かせて、キャンバスから世の中へ送り出した画家。生涯を絵だけに捧げ、「フランスの全ての画家は、彼の偉大なるパレットを通して描いている」とセザンヌに賞賛されたその豊かな色彩は、現在でもなお、美術史上に色褪せることはありません。「まだ私には400年先までの仕事が残っている」それが彼の口癖でした。
民衆を率いる自由の女神

パウルクレー
Paul Klee(1879〜1940)
スイスに生まれ後にドイツへ渡り、ミュンヘン美術学校で学びます。カンディンスキーと共に学びます。抽象的に組み立てられた色面が記号的表現と調和した独自の画法は、幅広い世代の多くのファンに支持されています。
快晴  窓辺の少女  忘れっぽい天使
直角と半円の関係  日没の風景
平面の構成  町の眺め、赤と緑の階調

ピサロ
Camille Pissarro(1830〜1903)
西インド諸島の生まれ。パリでコローに心酔し、写実的な絵を描いた。その後、モネの影響で印象派となる。
赤い屋根
ピカソ
Pablo Picasso(1881〜1973)
20世紀を代表する作家ピカソは1881年スペインに生まれました。初期の「青い時代」や「バラ色の時代」というように、ピカソが生み出した芸術の表現方法は実に様々な方法があります。そして「キュビズム(立体主義)」、新聞紙や壁紙、ぼろ切れ、針金などの材料を貼りつける「コラージュ」と変化し、 1920年ごろからゆったりとした画風の「新古典主義」から1937年には戦闘的な反戦作品「ゲルニカ」に至ります。
ゲルニカ

フェルメール
Jan Vermeer(1632〜1675)
その生涯を謎に包まれた作家です。当時オランダで流行した室内画で、入念な構成、青と黄を主調とする調和的な色彩などにおいて卓抜した手腕を示しました。その青の美しさはフェルメール・ブルーと称えられています。19世紀に専門家によって見直されるまで、歴史の塵の中に埋もれていたフェルメールですが、今日ではオランダを代表する絵画の大家として称えられています「静謐な空間」と表現されるその作品は、完璧な静けさと平和な空気に満ち、優しい光が全体を覆っています。真贋に疑問の残るものも含め、彼の作品は全部で35点前後しかありません。
青いターバンの少女

フラゴナール
Jean Honore Fragonard(1732〜1806)
ブーシェの愛弟子でもあり、ロココ美術の正統的伝承者です。ロココ美術の、明るい色彩と魅力的な曲線を特徴とした装飾的な絵画様式を体現している画家といえるでしょう。
プシュケ

ブラマンク
Maurice de Vlaminck(1876〜1958)
アンドレ・ドランと出会い、さらにゴッホ展に刺激を受け、パリのサロン・ドートンヌにて衝撃的なデビューをし、マティス、ドランらと共に20世紀フランス絵画界にフォーヴ旋風を巻き起こした。後の変換期にはセザンヌの影響によりキュビスムにも傾倒したが、円熟期には強烈且つ重厚でエネルギッシュな独自のスタイルを確立した。
雪の道と家

ベラスケス
Diego Velazquez(1599〜1660)
ベラスケスはモデルを理想化することなく、ありのままを、鏡に映し出されたように描き出そうとしました。彼は人間の本質、人間性を描こうとしたのです。彼の評価が世界的に高まったのは、十九世紀に入り、印象派の画家たちから、「画家の中の画家」と賞賛された事も大きく影響していると思われます。
宮廷の待女たち

ボッティチェルリ
Sandro Botticelli(1444〜1510)
フィレンツェ生れのルネサンスを代表する画家で、名門メデイチ家の後援を得て、ダンテの「神曲」の挿絵版画やシスティーナ礼拝堂の壁画を描きました。彼はその後イタリアではほとんど忘れられていましたが、近年になって評価が高まり、現在では15世紀後半のイタリアを代表する大画家とされています。
春<プリマベーラ>

マネ
Edouard Manet(1832〜1883)
フランス人画家で、クールベの写実主義から、印象派への道付けをし、「印象派の生みの親」とも「近代絵画の父」とも呼ばれています。パリの日常的な市民生活を主題にし、明るい色調、広く単純な色面の利用、画面全体に及ぶ生き生きとした筆致で描かれた革新的な画風は、後に印象派に発展するモネ、ルノワールらに大きな影響を与えました当時、最も公衆の非難を浴びることになった作品の1つが、マネの「草上の昼食」でした。そこに描かれた現代風俗の露骨な描写は、芸術とはギリシア神話や歴史画の世界の表現だと思い込んでいた人々にとっては衝撃的だったに違いありません。
笛を吹く少年

ミケランジェロ
Michelangelo Buonarrotti(1475〜1564)
肉体を手段として人間の内面を表現した画家です。システィーナ礼拝堂の天上画と祭壇壁画が代表作ですが、当初は自分は彫刻家であって画家ではないと断ったそうです。
最後の審判 

ミレー
Jean Francois Millet(1814〜1875)
産業革命が進む19世紀フランスでは、人々が都会を目指す一方で、農村に住んで自然を描く画家たちがいました。彼らが住んだのがパリ郊外の「バルビゾン」。特にミレーは風景画に加え、時には過酷な側面を持つ自然の中で、大地を耕し生活する貧くも純朴な人々を描きました。そしてそれらの現実的な絵画を急速に都市化が進み豊かさを増していくパリで発表し、都会の人々に衝撃を与えました。
種をまく人  春<ミレー>  晩鐘
羊飼いの少女  落穂拾い

モディルアーニ
Amedeo Modigliani(1884〜1920)
イタリア生まれ。21歳でパリに出てモンマルトルやモンパルナスに住み創作に励みました。彼の作風は黒人彫刻の影響を強く受けているといわれています。一時期彫刻家を目指しましたが病弱で体力に自身がなかったため断念。貧しく、悩み多き彼の生涯は近代の芸術家のひとつの典型ともいえるかもしれません。
坐る少女

モネ
Claude Monet(1840〜1926)
1840年、パリ生まれ。10代のころから絵が得意で、町の人々の似顔絵をかいては、画材屋さんの店先に並べて貰い、小遣いを稼いでいたそうです。モネは美術学校にも行かず、古典的な絵の教育を受けることが無かったモネは、当時すばらしいとされた古典的人物画を書くのではなく刻一刻と変わる風景を捉えた作品を描き続け、34歳のときに「印象・日の出」を描き上げます。自然光が映し出す一瞬の光景を表現することを追求していきます。ある日、列車の窓から見たジヴェルニーの景色の美しさに心奪われ移り住み、精魂込めて作り上げた美しい庭園を作り上げ、自然が織りなす様々な情景をモチーフに色と光の表情を描き続けました。生涯のモチーフとなる睡蓮との出会いもジヴェルニーでした。
アルジャントゥーユのヨットレース
アルジャントゥーユの橋
ひなげし  印象・日の出
睡蓮・緑のハーモニー  睡蓮の池

ラファエルロ
Raffaello Santi(1483〜1520)
三十七年という短い生涯でありながら、繊細で美しい数々の聖母子像などを描いたラファエロは、ダヴィンチ、ミケランジェロと並ぶルネサンスの三大スターの一人です。典型的なルネサンスの画家ともいわれ、十九世紀までの長い間、西欧の絵画の美の基準として崇められていました。
美しき女庭師の聖母  アテネの学堂

ルソー
Henri Rousseau(1844〜1910)
1844 年フランスマイエンヌ地方のラヴァルに生まれるます。25歳からパリ郊外の関税局に勤める下級官吏としてパリの入口の門番を努めながらやがて趣味で絵を描き始めます。40歳を過ぎてから「アンデパンダン」展に出品をはじめ、ピサロやルダンにその作品を賞賛されますが多くの批評家や画商にはまったく認められませんでした。その後退職して、バイオリン教師をしながら、アマチュア画家となりますが相変わらず絵は売れず、妻や子供も次々に亡くし、生活は苦しく辛いものでした。しかしどんなに不幸に見舞われていてもその苦しみや悲しみを口にし、 感情をあらわにすることのない穏やかな人柄で、その人柄を表すように彼の絵に苦痛が生々しく表現されることはありませんでした。詩人のアルフレッド・ジャリやギョーム・アポリネール、 ピカソやマリー・ローランサン、ブラックら 若い世代の画家達はルソーを 「無意識の天才」「自覚の無い前衛画家」と評価し「この黒は真似できない。」とゴーギャンは賞賛、ピカソは4枚のルソーの絵を終生手放すことはなかったそうです。
蛇使いの女

ルドン
Odilon Redon(1840〜1916)
ペイルルバードで育ち、その荒涼とした土地は、ルドンの原風景となりました。ルドンの言葉として「ものをみるためには眼をとじなくてはいけない」といわれているように、荒涼の土地で育ったルドンは想像力でさまざまなものを補わねばならなかったのです。後年ゴーギャンらと交友があり、象徴派、ナビ派の画家に慕われました。
花束

ルノアール
Pierre-Auguste Renoir(1841〜1919)
モネとならぶ印象派の代表的画家です。陶器の絵付け職人でしたが、パリに出て印象派に身を投じます。ルノアールの作品から私たちが感じるのは、暖かい陽光、草いきれのする夏の野、談笑する若者たちの体温の感覚です。人物画のほか風景、静物も華麗な色彩で描いています。ルノアールの風俗的主題を扱った作品は、サロン派画家と印象派画家との間の橋渡しを果たす役割を演じる結果にもなりました。
イレーヌ・カーン・ダンヴェルス嬢の肖像
ピアノに向う2人の若い娘
ムーラン・ド・ラ・ギャレット
舟遊びをする人々の昼食

ルーベンス
Pieter Paul Rubens(1577〜1640)
若くしてイタリアのマントヴァで宮廷肖像画家となったルーベンスは、ミケランジェロに深い感銘を受け、人物の「肉感」「重量感」の表現に心を砕きます。動きの多い劇的な構図、人物の激しい身振り、華麗な色彩女神像などに見られる豊満な裸体表現など革新的な表現が特徴です。
パリスの審判

レンブラント
Rembrandt van Rijn(1606〜1669)
油彩だけでなく、エングレーヴィングによる版画やドローイングでも知られる。生涯を通じて数多くの自画像を描き、その時々の彼の内面の変化まで伝えている。
天使のいる聖家族

ロートレック
Tonlouse-Lautrec(1864〜1901)
19 世紀末のフランスに生き、パリの街角、故郷の風景、家族や友人、酒場や娼婦など、身近な題材を率直に描いた作家です。油彩にとどまらず、パステル、リトグラフなどの表現技法を多岐にわたり研究、実践したことも、彼の作品の大きな特徴といえます。特に1891年「ムーラン・ルージュ」の依頼で初めて製作された石版刷りのポスターは、彼を一躍有名にし、広告メディアのひとつであるポスターを芸術のレベルまで引き上げました。アブサンを好み、過度の飲酒から病院に強制入院させられ1901年37歳の若さで他界します。
踊るジャンヌ・アヴリル

東山魁夷
Kaii Higasiyama ( 1908〜 1999)
明治41年横浜生まれ。杉山寧、高山辰雄とともに日展三山とよばれる日本画家の巨匠の一人。第12回日本芸術院賞を受賞し、東宮御所(現赤坂御所)に壁画「日月四季図」、皇居新宮殿の大壁画「朝明けの潮」唐招提寺御影堂の壁画など多くの作品を制作。自然の風景を描き続け、「生きるということは何だろうか」と人間の根源的な存在を問いかけてくる作品を残しています。
花明り    白馬の森  緑響く

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